吉田 潤平

Jumpei Yoshida 株式会社カタリスト 代表取締役
カタライズコーチ
吉田 潤平

人と自分の可能性に挑戦する強い意思。
勝負事への執念。そこに私の人生がある。

「俺が何者かは俺が決める」と誓った青年は、ビジネスの荒波にもまれ、一回りも二回りも大きくなった。誰よりも自分を信じ、負けん気と意志の強さが己を動かす。吉田潤平の人生哲学は、そこにある。

Profile

吉田 潤平 株式会社カタリスト 代表取締役
カタライズコーチ

1982年兵庫県生まれ。2007年カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)工学部情報科学科卒業。。同年、外資系経営コンサルティング会社ベインアンドカンパニーに入社、東京支社に配属。2009年エンゼルプレイングカードに入社。2012年、家業である株式会社ワイ・エス・イーに入社し、経営破綻寸前から再建。両親の借金約2億円の債務の大半を代わって返済。2年間経営者として携わった後、母と妹に譲渡し、経営コンサルティングを開始。
「お客様の成果でも、実力でもこの人には敵わない」という師と出会い、戦略コンサルティングで培ったノウハウはあくまで「空中戦向け」であり、現場を巻き込んで爆発的な成果を出すためには「地上戦向け」のドゥハウが必要と気づく。米国を源流とするコーチングファームに弟子入り。2016年、株式会社カタリストを創立、代表取締役に就任し、カタライズコーチングを創始する。「クライアントの社運を変える」をミッションに掲げ、人と組織がフルポテンシャルを発揮することをサポートしている。座右の銘は「俺が何者かは俺が決める」。趣味のビリヤードはプロ並みの腕前で無類の勝負好き。

1%の成功者になれないわけがない。
「負けず嫌い」がアメリカへと突き動かした。

高校3年生のときのことです。同級生たちが自分の意思もなく、親に言われるがまま弁護士や医師になる、有名大学を目指すと言っているのに驚愕しました。自分の人生は自分で創るものと信じていた私は、そんな彼らを見て受験勉強するのが滑稽に思え、一切の勉強をやめました。その後、勝負好きが高じてビリヤードに熱中になり、毎日8時間練習しました。一時は高いレベルを求めてプロの道も考えましたが、アメリカで成功した父の友人の話を聞いてチャレンジ魂に火がつき、渡米を決めました。今でもよく覚えていますが、「アメリカはすごいぞ!世界を変えているのはアメリカのIT会社だ。だけどアメリカに来る日本人の99%は成功しない。日本人は自分に甘いからね」と言われ、「俺をその他大勢と一緒にするな。自分は残り1%の成功者に決まってる!」と奮起し、アメリカの語学学校に入学しました。

2001年前後のことですね。当時はAmazonやGoogleが伸び盛りで、世界を変えるのはこれだ!と背中に電撃が走りました。それらの先進企業の急成長をドライブしているのは優秀なソフトウエアエンジニアと知り、その分野で有名なカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の工学部に入学しました。毎日2〜3時間の睡眠で、20時間くらい勉強しましたが、自分よりもはるかにプログラミングの経験を積んだデジタルネイティブがたくさんいて、その人たちを超えるものづくりをできる気が全く湧きませんでした。ある種の挫折を味わったと言ってもいいかもしれません。

一方で、その頃、家庭教師のアルバイトをしていました。ある家庭の時給がかなり良く、1~2個の科目だけでなく、どうすればもっと子どもを教えることができるのかと思いました(笑)。そこで、その子の高校の先生に直接インタビューし、彼が今どう評価され、どうしたらもっと成績が伸びるのかを聞き出し、志望校に合格するためのポイントを洗い出したんです。そのレポートをお母さんに見せてプレゼンしたら、「そのプラン通りにこの子を教えてほしい。時給もしっかり払うわ」と即決してもらいました。その時、「あっ!ビジネスってこういうことかな」と実感したんです。

自分の仕事をどう拡張し、どのような付加価値をつけるか。いわゆるビジネスをデザインする方が、ソフトウエアエンジニアになるよりも自分には向いているように思えました。これで私は得意になり、家庭教師を派遣するビジネスを始めました。でも、そう簡単にうまくは行きませんでした。派遣した家庭教師が時間通りに行ってくれなかったり、嘘をつかれたり・・・。ビジネスって、きちんと勉強しないとうまくいかないことを悟りましたね。

「ビジネスで血を見ろ」。けしかけられて転職を決意。

経営コンサルタントの道に足を踏み入れたのは、株式会社ドリームインキュベータの堀紘一社長の著書『会社が放り出したい人 1億積んでもほしい人』を読んだことがきっかけです。コンサルの世界に入ったら「最短最速でビジネスを学べる」と思い、大学卒業後、ベインアンドカンパニーというコンサルティング会社に就職し、東京支社に配属されました。海外ファンドによる買収支援や、国内大手・外資のM&Aや統合の支援、新規事業戦略の立案など、ダイナミックかつ責任ある仕事に熱中していたのですが、リーマンショック後の経営縮小で戦力外通告を受けたんです。社会人3年目のことでした。

「2ヶ月間給料は出すから、その間に仕事を決めて」と言われた私は、自分の強みを生かせる場所、自分が勝てる場所を探しました。そして、元コンサル出身の社長が経営する、世界中の一流カジノで愛用されるような最高品質のトランプをつくる会社、エンゼルプレイングカード株式会社に出合いました。その人のもとに元コンサルが何人も集まっていると聞き、社長に会いに行きました。そうしたら、「お前はビジネスで血を見ていない。経営コンサルで3年目?うちの1年目にも負けるわ。空中戦でなく、地上戦で血を見てない奴に本当の経営はできない」と言われました。私は「何を言う、俺が負けるはずない。でもそこまで言うなら面白そうだな」と思い、就職を即決しました。渡米を決めた時と同じで、相手にけしかけられたのかもしれません。でもたぶん、社長は私の性質を見抜いていたんでしょうね。

苦難は普通のこと。すべては自分次第。

エンゼルプレイングカードには約3年勤めました。工場の生産性を10倍上げるための改革をしたり、トレーディングカード事業を立ち上げたり、海外のカジノに売り込んだり。京都からシアトルにある世界一の玩具会社に飛び込み営業に行って、誰もが知る大手企業を差し切り、超大型コンペを全社一丸で勝ち取ったときは本当にしびれましたね。社長も本気になり、先行投資で工場を建設していて、「受注できなかったら分かってるな(笑)」とハッパをかけられていたので、受注できた時は心底ほっとしましたし、嬉しかったです。ここでの仕事は本当に面白かった。ただ、私って強欲なんです。もっと稼ぎたかったし、何でも自分で決められるようになりたかった(笑)。エンゼルプレイングカードの最終決定者は社長でしたし、このままだと自分は上げ止まりというか、伸び悩みだと思った矢先、実家の不動産賃貸業が後3ヶ月で倒産する、父も癌で余命6ヶ月ということが分かりました。「まだ何も親孝行できていない自分が孝行するなら、今が最後のチャンスかもしれない。だけど本当にこれで今の立場を手放して良いものか?」。それまで未来やお金の心配をすることがなかった私は、思いがけぬ心労とストレスで軽いうつ状態になってしまいました。

そんなとき、社長が言ってくれたんです。「金銭や実家のトラブルで大変な思いをしている人はたくさんいる。だからそれは、よくある話だ。普通のこと。そうした状況でも、うまくやっている人はいる。だから、すべては自分次第だ」と。今でもその時のことは良く覚えています。「流石、社長だな」と思いました。私は一日考えた後、社長にお礼を言ってエンゼルプレイングカードを卒業させてもらいました。

その後、実家の不動産賃貸業を立て直すことができ、コンサルティング業として独立しました。今では上場企業や外資系企業から同族企業まで、年間50社以上のビジネスをサポートをしています。

誰かを猛烈に成功させる。そして連鎖させるのが志。

私は、40代のうちにやりたいことが3つあります。一つ目は「誰かを猛烈に成功させる」こと。自分の運命が変わったとその人が思ってくれるくらいの「成功」を提供したいんです。誰かが何者かになる、そのサポートです。例えば、会社でそういう猛烈な成功体験をした人が増えると、社運が変わってくる。会社が今まで想像さえできなかったことができるようになります。そうすると、その過程でいつのまにか業界ナンバーワンやトップ水準に到達できるようになる。こんなにやりがいのあるミッション、他にはありません。そんなふうに「誰かを猛烈に成功させる仕事」をやり続けたいですね。

二つ目は、このミッションを素敵だと思ってくれて、これをライフワークにしたいと思う人が現れること。ミッションを全うし、誰かを成功させ、自らを誇る。最高ですよね。

そして三つ目は、それが連鎖すること。最高水準の仕事の連鎖が続くと、今の私が思いもよらない形で、それぞれの魅力や独自性が輝いて、自分自身を誇れるようになり、社会そのものが変わっていくと思うんです。もちろん素敵な仕事は他にもたくさんあると思いますが、このミッションに心底惚れています、自分で言うのも何ですが(笑)。
「誰かを猛烈に成功させる」という勝負。そして、人と自分の可能性に挑戦し続ける。そんな人生を謳歌する人で社会を満たす。その意志が私の仕事を支えています。

Message

勇気こそが運命を切り開く


私のストーリーを読んでくださって、ありがとうございました。
1つ質問があります。
あなたの運命が変わった瞬間はいつでしたか?
運命が変わる…そんなシビれる意思決定には勇気が求められます。そして意思決定がされると、人生がドラマチックにシフトし、ブレイクスルーが始まります。
「俺が何者かは俺が決める」
「正しいことを決めるのではなく、決めたことを正しくする」
この言葉が私を創っています。
あなたや組織の本当の可能性を引き出すための目標。こんなシビレる目標を立て、本気で達成を追求するあなたや組織をサポートする。これが私の使命です。共に圧倒的に成功し、人生を謳歌することを楽しみにしております。

株式会社カタリスト 代表取締役
カタライズコーチ
吉田 潤平
Interview and Editor : DK Sugiyama | Text: Mayu Natsume | Photography: Akane Inagaki|October 2018
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藤原 良浩 Yoshihiro Fujiwara プルデンシャル生命保険株式会社
品川第一支社 営業所長 /
2022年度MDRT成績資格会員
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