杉山: 今年は紫綬褒章の受章おめでとうございます。先生のご著書やいつも不思議に思っていたことをおききしたいなと思っています。よろしくお願いします。
実は僕の父親もインテリアデザイナーで、NYで働きたいという父の強い思いがあって家族全員で13年近く滞在していました。
内田: お父さんもインテリアデザイナーなんだ。
杉山: そうなんですよ(笑)。小さい時から、家に製図版や、ものすごく薄っぺらい定規や大きさの違う楕円形の型みたいのがたくさんありました(笑)。僕自身もデザインや何かを作ることに興味を持っていまして、現在は、個人や企業のコンセプトをデザインする仕事をしています。対象となる企業・個人をよく理解した上でコンセプトを立案し、世の中に発信していくお手伝いをしています。汎用性のあるものではなく、一人一人に対して誠意と熱意のあるそれぞれへのサービスを提供しています。
僕が先生に今までお聞きしたかったことは、『住まいのインテリア』、『インテリアと日本人』、『茶室とインテリア』、『家具の本』など著書にはそれぞれのフォーカスがあり、「家具」について、「日本人」について、先生のお考えが書かれています。それらについてと先生がインテリアデザインにおいて、大切にしていることを教えてください。
内田: インテリアデザインの最も重要なことは、君と同じように。人の観察なんだよ。インテリアデザインについては、どうも誤解されていると思えてしょうがないんだ。
僕は最初からデザインとは「人間の暮らしを豊かにするもの」だろうと思っていたんだ。だから、人間の暮らしを豊かにするにはどうしたら良いのか、といったら人間を観察するしかないわけだよ。だから、人はこういうことをやると喜ぶ、こういうことをやると嫌がる、そんなことを全部観察しておかないといけない。こういう場所に行くと、とても喜ぶ、なんかこうウキウキしてくると、そういうことをいちいち全部観察するわけですよ。人も観察するし、自然も観察するし、あらゆるもの、ともかく観察。一番デザインの基本はまず観察なんですね。だからその観察の上にデザインはあるのですよ。
もちろん、『普通のデザイン』にも書いたんだけど、普通のデザインがちゃんとしていない国はダメな国なんですよ。普通がきちっとできている国と出来ていない国との差が非常に大きくてね、特別な物が立派にあるということが、その国の豊かさを示しているわけではなくて、むしろ日常の暮らしとか、そうしたものをきちっと清潔に簡便で穏やかに能率的にやれている国が良い国なんだよ。日常の生活文化が良い国をつくっていると僕は思うんだ。
そういうようなことをインテリアデザインはやっているんだよ。一方で誤解がないように言っておくけれど人間の生きている暮らしというのはね、必ずしも同じ時間帯を生きているわけではないよね。色々な時間があるよね。たとえば、日常の暮らしの時間があれば、ちょっと日常を離れてリラックスしようと思う時間もあるし、あるいは、今日は誰かが結婚するとか、お葬式だとか、これまた違った時間だよね。
おおむね人は、3つの違う時間を生きているわけですよ。そうすると、3つの違う時間の中に対してそれぞれのデザインというのはある。だから普通のデザインというのは何も、日常だけのデザインがすべてではない。ただね、そこには日常、脱日常、超日常としての時間がある。日常を離れた、いわゆるあそびの時間、精神の回復するような時間というのは、全体の時間に対して、せいぜい10%~20%くらい。その程度のものなんだよね。
ところが、デザイナーとか周辺の人は「デザイン」という言葉を聴くと「なんか特別なことをやってくれるのではないのか?」なんか人と違うことをやってくれるのではないのか? そういうことを期待するわけだよね。
そこには双方に間違いがあって、デザイナーも勘違いしているようだし、それを期待する方もそれがデザインだと思い違いをしている。本来デザインというのは特別なことのためだけにあるわけじゃなくて、むしろ日常の方が重要なんだ。ただね、人がウキウキしようと思う時に、日常の暮らしを離れたいとしたら、そこには違ったデザインが必要なんです。そのデザインも重要なんだよ。でもそれはたくさんないんだ。僕は、人の生きる時間の1割か2割くらいのものだと思っているんだけど、せいぜいあって2割だね。デザインというのは心身側面をかばう、仕事なんだ。