杉山: 人の暮らしの上に成り立つということでしょうか。先生は、小さい時からインテリアデザイン、人を観察することに興味があったのですか?
内田: 人の観察はあえてじっと観察しているわけではなくて、たいてい誰でも、君もみんなそうだと思うけど、自然と観察してしまうこともあるじゃないか? 自然と観察したものは、身体の中に残っていて、それが何かのシーンの時に出てくる。だからそういう見方をするならば、僕は結構人の観察は子供の頃からしていたのかも知れないね。
杉山: 自然に五感で感じ取ったわけですね(笑)。
内田: それとね、もう一つは、僕は横浜に生まれた。横浜ってのはすさまじい町で、僕が少年期を過ごしたのは、戦後間もないころで、その中でいろいろ体験していくわけでしょ。そこには、アメリカ系の外国人、一方でヨーロッパ系のギリシャ、中国人も住んでいるし、韓国人ももちろん住んでいるし、労働者もいれば、サラリーマンもいる。あらゆる違う人たちが住んでいるんだよ。
しかもそこに戦後の我々の受けた民主主義という教育もあるわけだからね。当然その背後には日本文化というものがあって、そういう違うものがごちゃごちゃになって生きていく町だったんだね。そんな町に生きている人間というのはだね、感覚的に分かることは、「価値観とは一つではないんだ」ということを知るわけですよ。
「価値」とはそれぞれにあるんだということね。それぞれにある価値がそれぞれ真実なんだと。だから、これじゃなきゃいけないんだということはないんだと自然と嗅ぎ分けるんだな。あれは大きかったな。
杉山: なるほど。僕も幼少期はニューヨークに住んでいましたが、クラスの中で日本人は1人でした。様々な人種のクラスメートがいたおかげで自分が「日本人」であって他とは違うということを肌で感じました。先生が横浜で育ったことで得られた価値観が一つではないというご経験は、僕もニューヨークで感覚的に身につけたことのように思います。
内田: 強烈かも知れないな、君の場合の方がね。そういうことがね、デザインをしていく上で最も重要なことなんだよ。価値観は一つではないんだよと、知っておかないと、一体何のためにデザインをしているんですか?
もちろん日本に住んでいるわけだから、日本人が快いようなデザインをしようと考えるわけ。しかしそれがすべてだと思っていたら大きな誤解を招くわけで、その後僕は仕事上で外国に行くことが多くなった。そうすると、やはり彼らと価値観はだいぶ違うということが分かる。その価値観の違いというのは、互いにいがみ合うための違いなのか、そうじゃなくてね、価値観の違いというのは実はおもしろいのはどっちのことだろうと思うようになるんだ。
僕はどちらかと言うと、価値観の違いはおもしろいんだなという見方になっていく。それは簡単なことでね、なぜなら、なんでみんな外国に旅行に行くんだ? って訊いてみれば簡単に分かりますよ。「違うから行くんだよ」(笑)。
杉山: 同じだったら行かないですよね(笑)。
内田: 違うものを感じるということはね、それぞれがその色々な局面を持っているということですよ。もちろんいがみ合いの原因にもなり得る。しかしね、違いがあるということは、心をときめかす原因にもなり得るんだよね。だから多くの芸術家というのはだいたい行き詰ると旅をするわけ。だからドイツの色々な小説家は何人もいるけど、イタリアに旅に行ったりね、そういう風にして自分と違う価値観を身につけながら、さらに自分の中にない物で、違うものを発育させようとするわけだよね。ほとんどの人間が旅に出るというのはそこだよね。
杉山: 先生のご著書でも、仮設茶室を作られる前に、茶室の本をたくさんご購入されてニューヨークに行き、外から客観的に日本を見た上でご研究されたと書かれていましたが。
内田: うんうん。離れてみると割合、日本の価値とか、日本のだめな所とか、見えてくるわけだよ。特に「茶の湯」なんていうのは、ある意味では伝統文化と彼らは言うけれど、まあ一つのこだわりの塊みたいな世界だからな。こだわりがすべてじゃないから。という意味で、日本から離れてみると既成概念から逃れられるんだ。