インタビュー・対談シリーズ『私の哲学』
第79回「私の哲学」 井上  慎一氏

中学時代に中国にはまり、大学時代に北京大学に留学。新卒で入社した三菱重工で北京と台湾、ANAで北京と香港に駐在。ANAを飛び出して日本初のLCCを立ち上げた井上慎一氏にお話を伺いました。

Profile

第79回 井上 慎一(いのうえ しんいち)

Peach Aviation株式会社 代表取締役CEO
神奈川県生まれ。1982年3月早稲田大学法学部卒業。三菱重工業株式会社勤務を経て、1990年9月、全日本空輸株式会社に入社。2004年北京支店総務ディレクター、2008年アジア戦略室長、2010年LCC共同事業準備室長を歴任する。2011年2月、Peach Aviation株式会社の前身となるA&F Aviation株式会社に転じ2011年5月から現職。

日本初のLCCの誕生

2008年、ANAの北京支店のディレクターとして10支店約600人の人事や労務のスタッフを担当していた僕は、前社長の山元峯生さんから東京に呼び出されました。そして、「LCCを作れ。3年で飛ばせ」と言われたんです。でも、当時はLCCが何かなんてことも分からなかった。だから、僕のキャリアは終わったと思いましたね。だからこそ開き直って、どうせやるなら坂本竜馬のように前のめりになって生き様を見せよう、イノベーションを起こすようなことをやろうと思いました。

2008年の3月に、世界ではじめてのLCCカンファレンスがシンガポールで開かれました。そこにライアンエアーの創業者で会長のパトリック・マーフィーさんが参加されていたのですが、LCC界のレジェンドに、「ANAの者なのですが」などと声をかけられる状況ではなく、お手洗いに行かれた時に近づいて話しかけたんです。この機会を逃すまいと必死でしたね。そうしたら会いに来ても良いと言ってくれて、後日会いに行きました。フルサービス系の航空会社とはまったく違う発想で成り立っているLCCのことを知って、スイッチが入ったんですよ。「これはやる価値がある、チャレンジする価値がある」と。

後にマーフィーさんにはPeachのアドバイザーになってもらったのですが、彼はメディアからの取材で、「なぜPeachのアドバイザーになったのか?」と聞かれ、「井上が誰よりも必死だったから」と答えていました。それを聞いた時は嬉しかったですね。直接聞いたら、「これを逃したら終わりだという必死さに胸を打たれた」と言っていました。後がない状態で「ただ生き様を見せよう」と行動するとき、その思いは必ず伝わるのだと実感しました。

もどかしさから興味へ、興味から世界へ

僕の生まれは、神奈川県藤沢市。一応湘南ボーイということになるんですけれど、実際は漁師町なんです。小学生の頃は体が弱くて運動が制限されていました。だから、室内球技の中でも卓球ならできるんじゃないかと、まったく見当違いな理由で卓球部に入ったんです。そして、運動を始めたら体が強くなって、中学生のときは部長を務めました。

中学3年生のときに、中国から卓球のインターナショナルチームがやってきたんです。しかも藤沢に。日本は世界一、中国も世界一の竜虎相打ちだってことで盛り上がって。その時、僕が中学の地元代表に選ばれたんですよ。相手をしてくれたのが、当時の世界チャンピオンの希恩庭選手。素晴らしいチャンスをいただいて、いろいろ教えてもらえたのに言葉が分からなくてもどかしい気持ちになったんです。それから中国に興味を持って、中国語を勉強しはじめて。高校、大学も卓球をやって。振り返ると、体が弱かったことで今の僕に至るための最初の道が開けたなと思います。あの時、「もうちょっと話せたら」というもどかしい気持ちがなかったら、今の僕はありません。

中国と卓球は僕の人生の延長線上で交差しています。まるで、わらしべ長者みたいに。それを実感したのが、忘れもしない2000年の出来事です。僕がANAで中国に駐在していたとき、人民大会堂で日中卓球交流50周年の記念イベントがあり、呼ばれて行ったら同じ5番テーブルで希恩庭さんに再会したんです。僕は中国語が話せるようになっていたから、当時のことを伝えると彼も僕のことを覚えていてくれて、あれは人生の中での実りでした。

自ら動き、一人称で語る

なぜ日本がLCCの参入に遅れたのかをマーフィーさんと議論した際、僕は、「空港側の制約があり、着陸料の問題があり、歴史がある」と言ったんです。そうしたらマーフィーさんは、「それでは聞くけれど、君は空港と、航空当局に行って、その窮状を自分で訴えたのか?各空港を回って、着陸料をこのぐらいにしてくれって言ったのか?」と言われて言葉を失いました。「自分でやらないのに言うんじゃない。自分でやらないやつに事業の成功はない」とはっきり言われ、青天の霹靂でした。それから、自ら動きすべてを一人称で語ることを守り続けています。

彼からは、「事業を成功させるためには、敵を倒すビーストになれ」とも言われました。社員の人生を預かっていることを忘れるなということです。この教えがあるからこそ、Peachは日本の航空会社の安全性を確保しながら過剰なサービスを抑え、安い運賃で提供して喜んでいただくことに、無上の喜びを感じるチームになれたのだと思います。

安全第一で飛び続けるために、毎年8月には、社員を御巣鷹山に連れて行きます。これから、しびれるような緊張感を維持しながら、もっともっと便利で使い易いLCCになるように邁進していきます。定期的な介護で実家に行きたい子どもたち、一人暮らしの大学生におふくろの味を届けたい母親、電車に乗るように使い勝手の良い飛行機を増やし、ネットワークを広げて、PeachはこれからアジアのリーディングLCCを目指していきます。

杉山大輔さんに初めてお会いした時、「うちの社員みたいだな?」という印象を持ちました。明るく、エネルギッシュで独創的。一言で言うと「エッジの効いたやんちゃ坊主」でした。私も日頃から様々なインタビューを頂戴していますが、質問の切り口、ユニークなコメント、感性豊かなリアクションなど、これまでにない非常に印象深いインタビューでした。まさか、取材中に卓球をさせられるとは思いもしませんでした。おかげさまで、Peachらしい社風をお伝えできたのではと思います。
『私の哲学』の理念である人と人を繋ぐことは、まさにPeachの理念と共通するものがあります。さらには、杉山さんのようなオーラがなければ、人と人は繋がれないのではとも感じました。私たちもそんなオーラを放てる会社になりたいと、思いを新たにしました。杉山さんは、さらに「エッジの効いたやんちゃ坊主」になっていただき、もっと多くの人と人を繋いで、明るい世の中を築いていただきたいと思います。ありがとうございました。

Peach Aviation株式会社 代表取締役CEO 井上 慎一


井上慎一社長の、「経営者はビーストたれ、敵を倒せ」は、目が覚める発言でした。リスクを経験して乗り越えているからこその発言の重みを感じたインタビューでした。インタビューする時に毎回心がけていることは、相手のホームグラウンドに伺うこと、関連する衣装やグッズを身につけることです。今回はPeachに乗り、関西空港内のPeach Aviation株式会社に伺い、貸衣装でパイロットのウェアを一式持参しました。それは、井上社長と一緒にパイロット姿でツーショットを撮ったら良い記念になると思ったからです。しかし、空の安全を第一に考えた場合、パイロットでもない人間がウェアを着ることはふさわしくないと教わりました。“空の安全”を本気で考えている、企業のルールを体感しました。
これからも安全を第一に、ワクワクとWOWな体験を提供し続けてください。まだPeach航空に乗ったことない方、オススメです。

「私の哲学」編集長 杉山 大輔

2018年2月 Peach Aviation株式会社(関西空港内)にて ライター:MARU 撮影:稲垣茜

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