インタビュー・対談シリーズ『私の哲学』
私の哲学Presents
第30回 木下 彩 氏

緑溢れる庭園を中心とした、江戸情調漂う空間でもてなすホテル、『庭のホテル 東京』。ミシュランガイドのホテル部門で、“快適なホテル”として開業以来5年連続2パビリオンに輝いています。第30回の節目は、その総支配人を務める木下 彩氏にご登場いただきました。

Profile

30回 木下 彩(きのした あや)

株式会社UHM 代表取締役 | 庭のホテル 東京 総支配人
1960年東京都生まれ。上智大学外国語学部英語学科卒業。大学卒業後、ホテルニューオータニに勤務。自社グループホテルの静岡グランドホテル中島屋勤務などを経て、1994年株式会社東京グリーンホテル(現 株式会社UHM)に取締役として入社。1995年、代表取締役就任。2009年に『庭のホテル 東京』をオープン。2011年より総支配人兼務。著書に『「庭のホテル 東京」の奇跡』(日経BP社)がある。
※肩書などは、インタビュー実施当時(2014年7月)のものです。

非日常ではなく、“上質な日常”

2004年、老舗ビジネスホテルである『東京グリーンホテル水道橋』の抜本的な改革として、全館建て替えを決めました。都内にビジネスホテルが増えてきたという状況もあり、単なるリニューアルではなく、まったく新しいコンセプトのホテルを作ることにしました。まず、私自身どのようなホテルがくつろげるかを考えました。商売柄ということもありますが、ラグジュアリーな広いお部屋は落ち着きません。お部屋の設備はすべて見て回らないと気がすまないので、あちこちボタンを押したり、扉を開けたりして忙しくて。それよりも、自分の家がこうだったらいいなと思えるお部屋だとゆったりくつろげます。ラグジュアリーなホテルに泊まって、非日常を味わうことも素敵ですが、私にとって目指すべき新しいホテルは、非日常ではなく自分の家のようにくつろげる、第2の我が家となるホテル。コンセプトは、日常の延長線上にある“上質な日常”です。

建て替えを決定してから5年。月に一度から3週間に一度、1週間に一度とペースが増えていったプロジェクト会議で様々な検討を重ね、コンセプト作りから関わっていただいた建築事務所の方、造園の方やゼネコン、スタッフも含めて素晴らしい方々に恵まれ、『庭のホテル 東京』という素敵な作品ができ上がりました。今年でオープンから5周年を迎えましたが、大変有り難いことに今はお部屋が取りにくい状態です。何かで大きく話題になったわけではなく、情報サイトなどの口コミで評判が徐々に広がってここまできています。実際にいらした方が良かったと思ってくだされば、自然と周りにも言いたくなるものですよね。そうして、このホテルのファンが少しずつ増えていってくれたら嬉しいと思っています。

万人に受け入れられるものはない

「万人受けするものではつまらない」。これはコンセプト作りの軸として、ずっと考えていたことです。万人にとってベストなものというのは、難しいのではないでしょうか。すべての方に好かれようとすると価値基準が中途半端になってしまい、それでは新しくホテルを作る意味がありません。お客様の価値基準と庭のホテルの価値基準が合えば、またお越しいただけると思います。合わなかったら残念ですが、それは仕方のないことです。調度品などは、私が本当に好きなものから少し幅を持たせた範囲の中で選びました。自分の趣味の世界に走ってしまっては、ただの自己満足になってしまいますし、客観的価値ばかり気にしていると、万人受けしても味気ないものになってしまいます。限られた予算と価値基準の範囲内で、譲れる部分と譲れない部分のせめぎ合いの連続でした。

価値基準がぶれにくいのは、ペルソナマーケティングにおけるペルソナが私だからだと思います。でも、私がいないと成立しないのでは困ります。スタッフにも価値基準を理解してもらい、その範囲でそれぞれが判断できるようにしています。ワンマン社長のように思われることもあるのですが、普段はほとんど口を出しません。備品類だけでなく、システムや人事などについても自由に提案してもらっています。誰に継がせるかということより、私がいなくてもこのホテルと会社自体が存続できるように、スタッフを育てていかなくてはならないと考えています。

悩み事は引きずらない

34歳で経営者になったとき、まったく自信のないところからスタートしました。それまで部下を持った経験はなく、経営学を学んだということもありません。トップとして判断すべきときも、いろいろな方の意見に対し、「何か違う気もするけれど、言われた通りにしておこう」といった具合にぶれていた時期がありました。そこから様々な経験をしていく中で、おかしいと思ったことにはおかしいと言わないといけないと徐々に考えられるようになってきたと思います。

これまでには辛い経験もしました。私の意図がスタッフにきちんと通じていなくて残念な思いをしたり、問題を起こした社員に対して厳しく処分したりしたこともあります。しかしそれは、わかるようにきちんと伝えられなかった私の問題でもあり、裏切り行為をされる環境を作っていた経営側の問題でもあります。そして、どれも過ぎてしまったこと。私が青い顔をして悩んでいたらスタッフは心配になり、お客様にもその空気は伝わってしまいます。いつも「何とかなる」という気持ちでおり、悩み事があって眠れないといったことはありません。割とすぐに忘れてしまうので、そういう点では社長に向いているのかもしれませんね。

毎日を楽しく

ホテル経営において一番大切にしていることは、スタッフが『庭のホテル 東京』を好きかどうか、生き甲斐を感じながら働けているかどうかです。「たいしたホテルじゃない」と思いながら接客をしていたら、絶対に良い接客はできません。自分が好きなものは、他の人にも好きになってもらいたいと思うもの。期待せずにいらしたお客様でも、好きになってほしいと思うと一生懸命になりますよね。そこから良い接客が生まれ、最終的にお客様の満足に繋がると思います。

私自身のモットーは、「いつも機嫌の良い人でいること」です。機嫌の悪そうな人や偉そうにしている人が苦手で、自分はそうなりたくないと思い、常に笑顔でいるように心がけています。それから、「毎日を楽しく生きること」。歌舞伎を観たりコンサートを聴きに行ったりするのが好きで、思い立つと一人でも行ってしまいます。それは観ておけば良かったと後悔したくないから。仕事においてもプライベートにおいても、いつ死んでも後悔しない生き方をしたいと思っています。

このインタビューで初めてお会いした杉山さんは、ご著書を読んで想像していたとおりの熱い、そして素直な若者(と申しては失礼かもしれませんが、私よりはずっとお若いので)でした。

旅館経営を家業に持つ家に生まれたという理由で、いわば成りゆきでホテル経営者になった私とは違い、まさに「行動する」ことによって自らの人生を切り開いてきた杉山さんですので、話が噛み合わないかもしれないなどと勝手に心配していたのですが、経営者同士としてわかり合えることも多く、本当に楽しくお話しさせていただきました。後日、ご家族で庭のホテルに泊まってくださったときに拝見した、優しいパパとしてのお顔もとても素敵でした。

今後のますますのご活躍を大いに期待し、応援しています。

庭のホテル 東京 総支配人
木下 彩

 

コンセプトが他と競合しない独自の特徴を打ち出し、それに共感したお客様が集まる庭のホテル 東京のスタンスは、今の時代にマッチしています。木下さんは34歳(現在の私の年齢)のときに社長になられました。経営者として同じような悩みに直面されていますが、これがまた経営の楽しさだなとインタビューをしながら思いました。

先日12年目の結婚記念日に、上3人の息子たちが合宿で留守だったので、1歳の長女と妻と3人で宿泊しました。日本料理レストランの「緑」の料理はとても美味しく、和食の良さを再認識。朝食をいただいたグリル「流」のバイキングは野菜の種類が豊富で、朝食だけでも食べに来たいと思ったほど。最上級のベッドマットレスは快適で、ノックアウトされたように熟睡しました。皆様も是非一度、上質な日常を体験してみてください。

『私の哲学』編集長 DK スギヤマ

2014年7月 庭のホテル 東京にて
  編集:楠田尚美  撮影:鮎澤大輝