インタビュー・対談シリーズ『私の哲学』
第83回「私の哲学」 草野 直樹氏

父親が創業したラーメン店が経営破綻し、27歳で50億円の負債を背負った経験がある草野直樹氏。“ラーメンレンタル”という新しいシステムを構築し、経営者育成と業界支援に挑戦する氏の、原動力と人生経験談を伺いました。

Profile

第83回 草野 直樹(くさの なおき)

株式会社花研代表取締役 | 東京豚骨拉麺ばんから 創業者
1969年東京都生まれ。東海大学教養学部卒業。父 光男氏は“くるまやラーメン”創業者。大学卒業後、福岡市にある外食産業に就職。2年間の修業の後、父親の会社、栄商事に入社し、名古屋営業所所長などを経て、1997年社長に就任。同年5月、会社更生法申請。1998年、池袋に“東京豚骨拉麺ばんから”をオープン。2008年6月、タイに海外一号店を出店する。その他に“薬膳もつ鍋ホルモンはなけん”、“ヒレ肉の宝山”などの事業も展開している。現在は全事業合わせて、直営店11店舗、FC27店舗、海外7店舗合計45店舗(2018年6月末現在)。

ラーメン レンタル システム

私はラーメンを心から愛しています。美味しいラーメンを作ってたくさんの人を笑顔にしたいし、ラーメン屋を始めた人には失敗してほしくない。だから“ラーメンレンタル”という新しいシステムを始めました。これは、うちが内装と設備を整えた立地の良い物件と道具やスープ、麺などの食材を用意します。さらに売り上げ予測や経理システム、スタッフ教育までノウハウのすべてを提供するので、未経験者でもラーメン屋が開業できるこれまでにないオーナー制度です。つまり、まったく設備投資をしなくても、レンタカーのように店舗を使用できるシステムです。

このシステムだと、物件も食材もレシピもすべて揃った状態で始めることができるので、仕込みの必要がないし、味がブレないし、運営の基礎もあるので、心置きなく経営に全力を注ぐことができます。ゼロから起業しようとすると、スープの味を決めるところから、仕入れ先の選定や設備の準備、店の宣伝・従業員の教育・労務管理・給与の支払いまであらゆることを考えなきゃならない。結局経営に集中できなくて、店を閉めてしまうケースが多いんです。だから私は、お店を丸ごとレンタルできるこのシステムで設備投資を抑えてスタートしてもらい、店をつぶさない経営者を育てたいんです。また、売り上げを作る要素の10割は立地で決まるため、良い物件の見極めと押さえることは、初めて起業する人にとっては非常に難しいので、私たちを使ってもらいたいのです。
私自身、倒産して自分の名前を出すことができない状態で再びラーメン屋を始めて、何とか20年続けて来ました。その経験があるから、つぶれにくい店を作らなくちゃ駄目だと思っています。

父親が創業した“くるまやラーメン”

倒産した経験があると言いましたが、親父が始めたラーメン屋をつぶしたんです。高度経済成長期にトラックの運転手をしていた親父は、ドライブインでそばやラーメンがどんどん売れているのを見て、飲食店は儲かると思い、運転手を辞めてうどん・そば屋のフランチャイズに加盟しました。そこであてがわれた場所は、東京都足立区の綾瀬駅のガード下でした。1年くらいしてから、誰もが好きなラーメンを始めることにし、時代は札幌ラーメンだと閃いて、北海道の味噌を使って自宅でにんにくや醤油をブレンドして特製味噌を作り、味噌ラーメンの店を始めました。
環七と日光街道の交差点近くの空き地を借り、改造した観光バスにラーメンという幟を立てて売り始めたのが1号店です。車でやっているラーメン屋だから、お客さんたちが「くるまやに行こう」と言うようになって、それがそのまま店の名前に。いつしか新聞社が取材に来るほどの行列店になりました。

ラーメンが売れることが分かった親父は製麺所を作り、祖父の家の中に味噌工場を作り、昔のトラック運転手仲間のネットワーク使ってフランチャイズを始め、5年間で約150店舗にまで広げました。二軒長屋から敷地260坪の庭に池もある大きな家に引っ越しました。ですが、子供の頃は貧しくて、中学校までしか行けなかった親父の生活自体は質素でした。習い事だけはたくさん通わせてもらいましたが、「お金が欲しかったら自分で稼げ」と言われて、いろいろなアルバイトをしていたくらいです。

歯車が狂い始める

私が中学校に上がる頃、傘下にくるまやラーメンが約40店舗ある千葉エリアの代理店をしていた親父の弟が、フランチャイズを脱退して、全部“ラーメンとん太”という店に変えてしまいました。祖父は自分の息子だからと特製味噌の作り方を教えてしまい、一時期くるまやラーメンと同じ味に。うちが味を進化させて盛り返したと思ったら、次は常務が脱退して別のラーメン屋を作り、その10年後には専務が脱退してしまいました。そんなことがあって親父はフランチャイズ展開をやめ、2年間で直営店を200店舗作りました。そうしたら今度は管理が追いつかなくなってしまった。その頃からかな、経営が上手くいかなくなり始めたのは。

2年間で200店舗ですから、メインバンクの長期信用銀行だけで約40億円の借り入れをしていました。当時は、まさか長銀がつぶれるとは誰も思っていないですよね。ある日突然監査法人が来て決算を締められ、「これ以上資金は出せません。これからも支援はしますが社長を交代してください」と、私を社長にするように言いました。これは、親父だけではなく、息子の私も生き延びないようにするためです。持ち物全てに保全命令が出され、倒産しました。私は27歳で50億円の負債を背負い、「一回目の人生終わったな」と思いましたね。

私にはやっぱりラーメンしかない

更生中の会社において、前経営者に協力しなければならない人が責務を離れることは、裁判所が認めないので自己破産はできません。できるようになったとしても、手続きには約400万円必要で、そんなお金はないし、新しく商売を始めることもできなければ就職することもできない状況で、本当に困りました。何かをやるとしたら現金商売しかないけれど、一度ラーメン屋をつぶした人間が同じことをやっても周りからたたかれるんじゃないかと不安でした。さらに当時は、前経営者が更生手続き中の会社の詐害行為をしたら、特別背任罪で引っ張ると釘を刺されていました。でもノウハウはあるから、店を出す人の応援をしようと思い、卸から始めたのです。知り合いが作る新しい店のプロデュースという形で、麺とスープ、根昆布を仕入れてレシピを考え、今の『ばんから』の基になる味と売り方を作りました。

少しずつキャッシュが動き始めた頃、「やっぱり私は自分が持っているラーメンのノウハウを使うしかない。ただ、今までと同じやり方では駄目だ」とあれこれ考え、徐々に今の形が出来上がっていきました。『ばんから』は角煮を名物にしたいと思い、オープン当初は夜12時以降に来たお客さんに無料で提供しました。そうするとみんな喜んでまた来てくれて、常連さんがどんどん増えました。そういうえこひいきをしないと、隣のコンビニで食べたってお腹はいっぱいになるんだから、わざわざうちには来てくれないですよね。

根拠のない自信

5年間、50億円の負債を抱えたまま過ごしました。そんな状況で再びラーメンを作り始めましたが、そこには「俺はできる」という根拠のない自信がありました。自信を持つのに理由なんか要りません。失敗して上手くいった人しか自信が持てないんじゃなくて、物事を始める前から自信を持っていないと上手くいかない、というのがこれまでの経験で分かったことです。人生にはいろいろなことがあります。例えば病気になったとき、良い医者を必死で探すとか、本当に大変なときはくよくよしている暇なんてないでしょう。夜中に店でメンマを煮ながら、「俺は絶対できる。1年後には50店舗いける」とずっと思っていました。だから、まだ支店がない1店舗目から“ばんから池袋本店”と食券に印字していたんです。

それから4年間で16店舗に広げ、今20年が経ちました。ここからは次のステージです。蓄積したノウハウと長年の経験を生かした“ラーメンレンタルシステム”という新しいビジネスモデルを成功させ、ラーメン業界を誰もが憧れる業界にします。


外部リンク : ラーメンレンタルシステム

今回のインタビューの8割方は、時としてサーフィンに行くクルマの中や、ハイボール片手にホルモンを焼きながらのユルイ雰囲気の中で、今まで人に言わなかったことまでウッカリ気持ちよく喋っていました。その時間の半分以上は、杉山大輔自身のエピソードを聞くのに費やされたのだけれども・・・。彼の行動力は人に元気を出させ勇気をもたらしている。彼がジジイと呼ばれる歳になったとしても、先輩たちからもらったモノを後輩たちに伝えてほしいですね。

株式会社花研 代表取締役 草野直樹


27歳で50億の借金。ものすごいご経験で、自分自身が同じ立場だったらパニックになってオドオドしていたに違いありません。腹が座っている男、草野直樹社長。逆境を乗り越えたからこそ、今の明るさや前向きな行動が生まれたんだと思います。草野社長が作るラーメンを食べたくて、インタビューが終わってからラーメンを作っていただきました。草野社長は久しぶりの厨房入りだったそうですが、ラーメンを作っている表情が最高に素敵でした。『ばんから』の法被をお借りしてツーショット。
インタビューを通じて、新しく開始したラーメンレンタルの「ラーメン屋を倒産させない」というコンセプトと強い意気込みを知りました。これからもラーメンと一緒に、日本から世界に「元気」を積極的に届けてください!

「私の哲学」編集長 杉山 大輔

2018年5月 『東京豚骨拉麺ばんから』新宿歌舞伎町店にて ライター:楠田尚美 撮影:小長井ゆう子

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