インタビュー・対談シリーズ『私の哲学』
私の哲学Presents
第91回 野田 一夫 氏

ピーター・ドラッカーの著書『Practice of Management』の翻訳や、いくつもの大学、研究機関の設立に関わってきた、野田一夫氏。企業経営論を専門とする氏が、91歳の今、思うこととは。

Profile

91回 野田 一夫(のだ かずお)

一般財団法人日本総合研究所名誉会長 | 一般財団法人社会開発研究センター名誉会長 | 多摩大学名誉学長 | 事業構想大学院大学名誉学長
1927年愛知県生まれ。東京大学社会学科卒業。立教大学助教授、立教大学教授、多摩大学学長(1989年〜1995年)、多摩大学大学院教授、宮城大学学長(1997年〜2001年)を歴任。設立に深く関わった多摩大学と宮城大学では、初代学長を務める。また(一財)日本総合研究所など多くの機関の設立を手がけ、創業の基礎を固めた。 主な著書に『現代の経営』(翻訳、ピーター・ドラッカー著、自由国民社)、『創業の思想』(清水弘文堂)、『私の大学改革』(産能大出版部)、『未来を創る力「ものづくり」のすすめ』(講談社)、『悔しかったら、歳を取れ!』(幻冬舎ゲーテビジネス新書)他多数。

尊敬する父

一人の人間としても、日本における航空技術の先駆者である父を、私はとても尊敬しています。ライト兄弟が人類で初めて空を飛んだとき中学生だった父は、「なぜ鳥でもない人間が空を飛べたのか」と学校の先生に聞くと、先生はその質問に答えることができず、おそらく面倒くさかったのでしょう、「大学に行け」と言われたそうです。当時航空学科はなかったので、父は東京大学の物理学科に入り、卒業後ドイツに留学して、日本の航空技術の先駆者となったのです。 「個性を磨け、愚痴を言うな」というのが父の口癖でした。愚痴を言いそうになるとすぐにワイフが、「お父様に叱られますよ」と言うんですよ。父と比べたら、私はだらしない父親だと思います。それでも子どもたちはみんな、「お父さん、お父さん」と慕ってくれるので、父の真似をして、父親らしくしています。

家庭は人生そのもの

子どもは3男1女ですが、我が家に教育方針なんていう堅苦しいものはなく、みんな自由奔放に育ちました。長男と次男は大きな会社に入って真面目に勤め、三男は入社した会社を飛び出して起業し、成功しています。仕事は大変でも、面白いと思えば、どんな職業に就いていたって成功します。嫌々仕事をするのは良くない。その点、特に三男は野田家の家風を象徴していますね。 子どもたちには、疲れた姿を見せないようにしています。つまり、調子の悪いときは、その言動から子どもに悪影響を与えてしまうからです。明治生まれの父は、その点いつもきちんとしていて、服装の乱れた姿など見たことはなかったですね。 人生においてやはり家庭は第一。家庭が楽しいのは仕事が上手くいっているときです。だから、仕事ももちろん大事です。仕事が上手くいかないと、家庭で楽しく過ごすなんてできないですからね。家庭は人生そのもの。結婚して60年になりますが、家庭内をしっかり仕切ってきたワイフにはいつも感謝しています。

事業とは、世の中への貢献

ソフトバンクの孫正義君のことは、彼が20歳の頃から知っています。成功すると思っていたけれど、これほどまでとは思わなかった。私のところに来たときから、非常に大きな理想と言うか、大きな志を持っていました。志を実現するために、苦しい思いはたくさんしてきたでしょう。苦労してつくったものは、印象に残る。思い出した時、自分に力を与えてくれる。そういう意味でも、苦労して何かを仕上げるのは素晴らしいことです。 ビジネスは財を成したから成功とは言えません。成功すればするほど、事件や不祥事を起こしたときの影響力は大きくなります。事業が大きくなればなるほど、社会的影響力も強くなる。ですから、影響力が強くなってから、何かをしようと思ってはなりません。事業を起こしたときから、その事業の成功を通して世の中に貢献しようと思っていれば、必要なときに社会が助けてくれるでしょう。

成功は後になって分かるもの

非常に地味な人生を送っているように見える人が、40歳、50歳になって立派な成果を上げることがあります。成功の仕方にはかなり個人差があるので、自分はこうだったということを言えても、それを一般化しない方がいいでしょう。極端に言えば、60歳、70歳になってから花を咲かせる人もいます。私の場合、青年時代から教授や、大学の創業者になろうと思っていたわけではありません。父に憧れて航空技術の道に進もうと思いましたが、大学に進学する時期が終戦にぶつかってしまいました。 GHQは占領政策の中で、日本での航空機の製造と保有を禁止したため、日本の大学はどこも航空学科を廃止したのです。占領下にあっては、まともに物はつくれないと、理系にいた学生の多くが文系に変わりました。終戦後の混乱の中では、将来の選択肢などないような時代でした。思えば私は、物心ついたときから日支事変や世界大戦と、ほとんど戦争の時代を生きてきましたね。 青年時代の私に一番大きな影響を与えたのは、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という本です。とても素晴らしい本で、本当に魅せられました。彼の本を読まなければ、自分自身の生き方を変えることはできなかったでしょう。91歳になって振り返ってみると、私の人生は思いがけず、上手くいったと思います。その時、その時に判断してきたことを、後になって後悔したことはありません。自分が取ってきた行動の結果として今日がある。運が良かった、悪かったなどというのは結果論であって、成功したかどうかは、過去を振り返った時になって分かるものなのです。

納得できる人生

明日死んでも、後悔はありません。充実して、楽しかったと言える人生でした。苦しい顔をするだけでも、人生はマイナスになってしまいます。苦しくても笑顔でいて、人を楽しませている方が良い。死んだ後の世界で、亡くなった父に会えるかどうかは分からないけれど、分からないのなら、会えると思っていた方が幸せですよね。自分が願ったことは実現すると思っている人の方が、悲観論者よりも恵まれた人生を送れると思います。 小学生のとき、いじめられていた男の子の話を父にしたら、「お前はその子を助けたのか」と聞かれ、「助けなかった」と答えたら叱られました。そして次の日、またいじめられていたその子を今度は助けました。帰ってその話をすると、「…よくやった。今日のことを一生忘れるんじゃないぞ…」と頭を撫でてくれたんです。その時のことは、今でも良く覚えています。後にも先にも、頭を撫でられたのはこの時だけ。天国で父に会えたら、これまで人生でしてきた仕事を報告して、また頭を撫でてもらいたいですね…。
第91回に91歳の野田一夫先生を取材させていただきました。「決断と行動する40代 DOers」に出演してくださった雨宮幸弘さんにご紹介いただいた、野田先生との出会いは素晴らしいものでした。撮影は第90回で意気投合した、写真家の宮澤正明さんにお願いし、「杉山大輔インタビュー×宮澤正明さん撮影」のコラボレーションが実現しました。3人とも4人の子どもを持つ父親であること、宮澤さんのお父様と野田先生が同い年であるなど、いろいろな共通点がある不思議な日でした。 先生のインタビューで印象的だったのは、「機嫌が悪いときは家に帰らない、家から離れる」というお話です。機嫌が悪い状態だと、周りに良い影響を与えません。数々の大学を立ち上げるエピソードや仕事に対する姿勢を伺い、「誠意ある行動力」が道を切り開くことを再確認しました。貴重な時間をありがとうございました。

『私の哲学』編集長 DK スギヤマ

2018年10月 一般財団法人日本総合研究所にて ライター:楠田尚美 撮影:宮澤正明