2016年11月、奈良県葛城市にある當麻寺中之坊客殿に、天井画『紅葉』を奉納した日本画家、杉本洋氏。氏に、制作活動、芸術に対する想いを伺いました。

Profile

第52回 杉本 洋(すぎもと ひろし)

日本画家、横浜美術大学特任教授
1951年東京都生まれ。東京藝術大学日本画科卒業。東京藝術大学大学院美術研究科修了。1989年、出雲大社大阪分祠神殿襖絵制作。1993年、秋篠宮家扇面制作。1999年、京濱伏見稲荷神社参集殿壁画制作。2004年、文化庁文化交流使に指名される。これまでに開催した個展はカナダ・ヴィクトリア美術館を含め30回以上にのぼる。その他“青梅アート・ジャム”や“NHKハート展”、“東日本大震災義援展”など数多くの展覧会に出品し、精力的に制作活動を行っている。2017年4月、NHKのテレビ番組『視点・論点』に出演、「文化財の劣化と保存」について解説を行った。

※肩書、略歴は2017年4月現在のものです。

自然への想い

土や植物に触れることは、地球という星に触れるのと同じことだと思います。都会で生活していると、一日に一回も地球に触れることなく一日を終える人がほとんどではないでしょうか。僕はなるべく天然の鉱物を砕いて作られている絵具を選ぶようにしています。また、最近では植物を燃やした煤を集めて膠で棒状にした、墨の良さを改めて感じ使っています。その墨を硯という石で擦り、動物の毛で作られている筆で、植物から作られた紙に描く。そして、自然の姿をその中に写し取る。そういう仕事をしているので、常に地球と関わっているという実感があります。

しかし、30年ほど前に都心にあったアトリエの窓からは、隣の家しか見えません。仕事場の窓からは空と緑だけが見えるという環境で仕事がしたくて、平成元年に都心を離れ、東京都青梅市の河沿いの地に越しました。アトリエから望めるのは、緑と河だけという理想の場所で、制作の合間に近くの河原で寝そべったり、犬を連れて散歩したりしています。都心に比べると不便な面はありますが、それには代えられない得難いものがあります。また、2010年に奈良県五條市にアトリエ“虫籠庵”を開設しました。自然に恵まれ、さらには歴史に裏打ちされた地で、この国の奥深いところを流れている普遍的な潮流を感じられ、青梅と奈良は、本当に表現したいのは自然や地球に対する自分自身の想いだったということ、そして、自分はどこからきてどこへ行くのかなどを気づかせてくれました。

時を超えてつながる芸術

奈良の山奥には、これまでに訪れた東南アジア諸国や中国の山奥など、様々な場所で見たものすべてが詰まっているような気がします。今は、ここに眠っている歴史や伝統を少しずつ掘り起こして、水の形を通して再構築し、作品の中で表現しています。時々、昔の画家が同じような感覚で描いたのではないかと思う作品と出合うことがあります。そうした作品は、絵を通じてその画家と会話することができます。音楽も同じでしょう。今地球上で生きている人は、誰もモーツァルトに会ったことがありません。でも、彼の音楽を聴くことで、その人柄に触れ、作曲された時代の空気を感じることができます。

好きな画家の作品を観るとドキドキしたり、涙が出てきたりすることがありますよね。観る人に様々な感情を起こすことができるのがこの仕事です。絵でも音楽でも映画でも、作品を受け取ったその人自身が持っている受信機で作者の想いやメッセージをキャッチし、実際は作者に会わなくても、作品を通して会話したり、心を通わせたりすることができる。それ故に、作者が亡くなって遺された作品を、戦火から命がけで守る人たちがいるのです。絵には生命力があることを信じずにはいられません。

文化財保護の重要性

平等院鳳凰堂 / 2003 / 120cm×204cm/和紙、金属箔、墨

明治維新の頃、日本は欧米列強に追いつくため、西洋文化を積極的に取り入れました。歴史を振り返ると、多くの国で前王朝のものはすべて壊し、まったく新しいものに作り替えてしまっています。けれど日本は、以前からある独自の文化をすべて無くしてしまうことをしませんでした。世界最古の倉庫であり博物館でもある正倉院には、1300年以上前の美術工芸品や書物が残されています。新しいものを取り入れても、古いものも大事に持ち続けているのが日本です。その古いものが痛んだり、壊れたりした部分を修復する技術には目を見張るものがあります。例えば、欠けた器を漆の技術でつなぎ、繕ったところを隠さず見えるようにすることによって新たな美しさが生まれるという発想、“わびさび”という言葉だけに集約できない美の世界が日本にはあります。

文化財の保護は、文部科学省の管轄下にある文化庁が行っています。文部科学省は科学技術や教育まで管轄しているため文化財保護に必要な予算はとても少なく、国家全体の予算規模は日本の方が大きいにもかかわらず、文化に関する予算は韓国の半分ほどしかないのが実情です。日本は経済にお金をかけても文化にはほとんど使わない、世界でも珍しい国なのです。しかも、各種美術品を修復できるプロフェッショナルが減ってきていて、修復費用も高くなっています。こうしたことから、貴重な美術品の修復をリーズナブルにできるように、人材を育成する仕組みを作りたいと考えていたところ、僕が教えている横浜美術大学で修復のプロを目指す学生の育成に取り組むことになり、文化・教育事業として保存・修復に取り組む新しいシステムがこの4月から始まり、横浜美術大学は首都圏の大学としては初めて学部に修復コースを持つ美術大学になります。

好きなことを続ける

小さい頃から絵を描くのが好きで、中学生のときから将来は画家になりたいと思い始めました。高校時代に美術の先生によって日本画を知り、浪人して大学に入って好きなことを続けてきました。人生にはいろいろな選択肢があります。高校受験の時、学校では有名校に進学する道を指導されましたが、どんなに頑張っても学年で一番の成績を取ることができず、学力の世界では自分の居場所はないと思いました。では、自分の居場所を確保できる仕事は何だろうと考えたとき、僕には絵がありました。自分より絵の上手な人はたくさんいましたが、絵が好きという思いを持って進んできたら、幸いなことに今でも画家を続けられています。

いつか納得できる絵が完成したら、世界で発表したいですね。それは、世界的なメディアに取り上げられたり、作品が高く評価されたりするためではありません。作品を通じて僕の世界観を知ってもらい、その世界観に共感できる人たちとつながり、世界中にネットワークができたら面白いだろうと思うからです。これからずっと、現代の作家ではあるけれど日本古来のものに根差し、奈良の山奥の宝石箱で見つけたものを作品の中で表現していきたい、そう思っています。

アクティブで今の時代を伸び伸びと泳ぐ彼に、若さの持つ特権を感じるのは、彼に会った多くの人々も共感することだろう。
彼の著書を読むと、彼の感性は海外で育ったときに培われた背景に思い及ぶ。
それを彼独自の視点で事業に展開しているようだ。
今のこの国に、これからどのように関わり、どのような影響を与え、変えていくかが楽しみなところだ。

日本画家 杉本 洋


アトリエに入って最初に目に入ったのは、石を細かく粉砕して作った天然の絵の具の数々でした。レオナルド・ダ・ヴィンチの時代と同じ手法で作った色を使っているというお話を聞き、僕の素材に対する知識不足を思い知ると同時に、絵の世界の奥深さを知りました。杉本先生は動物を描く場合、その動物の剥製を手に入れ、ディテールをじっくり眺めて作品を完成させます。この絵に取り組む徹底した姿勢は、先生のライフスタイルそのものです。幼少期の「絵が好き」という気持ちをプロフェッショナルレベルにまで引き上げたのは、先生の努力はもちろんのこと、いつも献身的に支えている奥様のサポートあってのことだと思いました(笑)。
インタビューを実施した、アトリエ兼ご自宅の裏に流れている多摩川からは、大地のエネルギーを感じました。今年の夏は川遊びをしに、旨い“プレモル”を持って行きます!

「私の哲学」編集長 杉山 大輔

2016年12月 杉本 洋氏青梅自宅アトリエにて  編集:楠田尚美  撮影:Sebastian Taguchi

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