1965年から1995年まで発行された、『話の特集』。当時の最先端をいく文化人が多数登場した雑誌を創刊し、編集長を務めた矢崎泰久氏。氏が知る歴史の貴重なエピソード、後を継ぐ世代が為すべきことをお話しいただきました。

Profile

第72回 矢崎 泰久(やざき やすひさ)

フリージャーナリスト、編集者
1933年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。日本経済新聞社、内外タイムスの記者を経て、1965年に父親が経営する日本社から雑誌『話の特集』を創刊する。1967年、出版社“話の特集社”として独立。デザイナーの和田誠、放送作家の永六輔、俳優の伊丹十三、イラストレーターの宇野亜喜良など、当時、多方面で活躍していたクリエーターやアーティストを数多く起用した。
主な著書に、『情況のなかへ わがジャーナリズムへの執着』(大和書房刊)、『話の特集と仲間たち』(新潮社刊)『僕はこんな男たちに会ってきた』(三一書房刊)、『口きかん わが心の菊池寛』、『人生は喜劇だ』(飛鳥新社刊)ほか多数。

読者に合わせない

雑誌『話の特集』の創刊号は、7万部刷りました。ほとんど売れなくて、5万部ちょっと戻ってきた。普通、売れなかった分は断裁するんですが、せっかく作ったから一人でも多くの人に読んでもらいたくて、残った分はタダで配ろうと思い、5万部がどのくらいの量なのかも分からずに返品してもらいました。取次店が電話で、「本当にいいんですか?」と何度も聞くんですよ。変だなと思っていたら、社員の居る場所がなくなるくらいの量が戻ってきてしまいました。5年経ったらものすごく売れ始めて、最大で20万部。創刊号は後からどんどん値打ちが出ました。

雑誌づくりは、読者のために作ろうという感覚にならず、自分が面白いと思うものを作ればいいんです。自分が興味あることを、同じように興味を持つ人が読めばいい。でも、読者が増え始めると、その大事なポリシーを失ってしまうんですよね。20万部も売れると広告スポンサーは増えるし、やたら儲かる。すごく苦労した時代のことなんか忘れてしまう。だから、部数を維持するために、読者にサービスしなくてはいけないと思うようになるんです。例えば、自分自身は世界遺産やギネスブックの話題なんか関心がないのに、記事として取り上げたら読者は喜ぶだろうと考えてしまった。このようなことをしている雑誌はたくさんありますよ。

『話の特集』の独自性を活かしていたのは、僕や友人の作家たち、五木寛之や野坂昭如、永六輔らが個人的に面白いと思ったトピックです。読者に合わせちゃだめ。読者が喜ぶだろうと思うことを取り上げるようになったら、部数はどんどん落ちました。

救えたはずの命

1977年、中山千夏、ばばこういちと共に“革新自由連合”という政党をつくりました。不甲斐ない自民党を片付けてしまおうというくらいのパワーにするため、著名人、知識人、大学教授など100人集めて、1人100万円ずつ出資してもらいました。合計1億円です。今の価値で言ったら10億円くらいでしょう。このとき僕が一番頼りにしていたのが、歴史学者の羽仁五郎さんです。彼は戦時中に反戦教育をしていたことで捕まりそうになり、上海に亡命します。しかし、結局は特高に捕らえられ、戦争が終わる1ヶ月くらい前に、警視庁の地下の独房に非国民として収監されてしまいました。

その頃、日本への降伏要求の最終宣言“ポツダム宣言”が送られてきました。しかし、英語で書かれた文書をきちんと読める人がおらず、鈴木貫太郎首相はアメリカとドイツに留学経験があり語学が堪能な羽仁さんに頼みます。文書を読んだ彼はすぐに、「今すぐ降伏しろ。早く降伏しないと大変なことになるぞ」と言いました。それは、文書に原子力爆弾のことが書いてあったからです。これ以上戦争を続けると、いたずらに何の罪もない人たちが亡くなると書かれていた。でも、軍部は羽仁さんのことを、「やはりスパイだ」などと言ってそのままにしていた。そうしてぐずぐずしているうちに、1945年8月6日に広島、9日、長崎に原爆が投下されてしまった。そして、ようやく日本は降参しました。政府が羽仁五郎を信じていれば、20数万人の命を失わずに済んだのです。

反権力、反権威、反体制

世の中には、反権力、反権威、反体制の思想があります。まず、反権力。僕は、新聞記者でしたから、権力に対する見方が徹底的に厳しい。権力は必ず腐敗します。歴史的に見ても、どんなに素晴らしい権力も必ず腐敗している。腐敗することによって崩壊します。権力は、全盛期が一番悪い。つまり、全盛期には腐敗がすでに始まっているんです。安倍首相を憎んでいるわけではないですが、森友学園と加計学園の問題、あれは間違いなく便宜を計っていると思いますよ。やっているけれど、やったと言ったら終わってしまうから、官僚みんなが嘘をついて踏ん張っているわけです。

それから、反権威。権威になっては駄目です。「自分は偉い」「自分は素晴らしい」「他の人と違う」と、思い始めたらその人は一巻の終わりです。僕は『話の特集』が終わったとき、12の大学から教授になってくれと言われました。多少売れている僕の名前を使った、学生を集めるための一種の権威付けです。全部断りました。大学の先生になることをキャリアの目的にしている新聞記者やニュースキャスターは掃いて捨てるほどいる。権威であるアカデミックに憧れたら、その人はおしまいです。

3つ目の反体制。体制は安全を求めます。体制を維持しようと思った瞬間に、保身のための堕落が始まります。僕は、自分が面白いものではなくて、読者が面白いと思うと勝手に思い込んで、読者に受ける雑誌を提供した。『話の特集』の部数が減り始めたのも、体制を維持しようとしたからです。

大事なのは、人

一番大きく世界を変えてしまったのは、核です。核以外にありません。革新自由連合をつくるとき、湯川秀樹さんにも100人のうちの一人になってもらったのですが、彼が悔いていたのは、中間子理論を発見したことでした。「自分が中間子理論を提唱しなかったら、人類は変わっていたかもしれない。核の力を媒介する中間子の存在を予想したことが核兵器につながった。核は人類を滅ぼす」と、彼は考えていました。原子力を最初に考えた人が、核は人類を滅ぼすかもしれないと考えていた。これは、とても重大なことです。

核が誕生したことによって、人類はもしかしたら、太陽が爆発するより前に滅びてしまうかもしれません。人間の手によって人類が滅びてしまう、その可能性を持っているのが核です。アメリカ1万発、ロシア9,000発、中国3,000発という数の核があって、第三次世界大戦のようなことが起きて暴発すれば、地球は壊れてしまうでしょう。現在、地球上にある核の数には、そのくらいの破壊力があります。

人なんですよ、大事なのは。人を守るために、何を守ったら良いか。戦争や核につながるものをとにかく止めることが、僕は一番大事だと思っています。ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が、ノーベル平和賞(2017年度)を得た意義は大きいと思う。

会っていきなり腕相撲をしたのは二人目だった。最初の人は三島由紀夫さんである。杉山大輔さんと腕相撲したとき、奇妙なことに三島さんの手の感触が蘇った。人の出会いには必ず縁が宿っている。人間はどんなに努力しても、一生で3万人以上の人には会えない。その百分の一が、いわゆる縁ある知己である。しかも38歳の杉山大輔というのが、私はとても気に入った。この年令の人は私にとって最良の出会いでもある。これからどんな道を切り開いていくかが、最も期待出来るからだ。見届けるまで私は生き永らえないが、それでも大きな楽しみを与えてくれた。頑張れ!

ジャーナリスト 矢崎泰久


時空を越えた、素晴らしい時間でした。とにかくお話が濃い、濃い、濃い(笑)。三島由紀夫さんと腕相撲をしたエピソードを伺い、ツーショットは腕相撲で撮影しました。84歳とは思えない腕力!年齢はただの数字だと改めて感じました。
矢崎様から教えていただいた、昔の言葉「遊びをせむとや生まれけむ」。人間の本質は遊ぶこと。本来、遊ぶために生まれたのだという言葉が印象深かったです。これからも楽しい仕事をして、楽しい人生を過ごします。応援メッセージをいただき、俄然やる気になった杉山大輔でした。

「私の哲学」編集長 杉山 大輔

2017年10月  星乃珈琲店にて 編集:楠田尚美 撮影:Sebastian Taguchi

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