浄土宗寺院専修寺の住職である、甘利直義氏。『私の哲学』編集長の子どもたちが通った、専修幼稚園の園長でもある氏に、人の生き方についてお話しいただきました。

Profile

第48回 甘利 直義(あまり なおよし)

一行山専修寺住職 専修幼稚園園長
1952年東京生まれ。慶應義塾大学経済学部、及び文学部教育学科卒業。高校1年生の頃より小学校の教員を目指し、大学卒業後、玉川大学の通信教育課程にて小学校教員免許を取得。桐蔭学園小学部で1年、慶應義塾幼稚舎で18年、清泉小学校にて5年、計24年間の教員生活を送る。48歳のとき、妻の実家である専修寺に入門。

※肩書などは、インタビュー実施当時(2016年9月)のものです。

こだわりを捨てる

教員としての経験を重ねるうちに、「私が教えているのではなく、実は子どもたちから教えてもらっているんだ」ということが分かってきました。その教員生活も24年経った頃、自分の中に新しいものをたくさん取り入れるために1年くらいお休みして、それからまた教壇に立とうと思いました。その1年の間、仏教に触れる生活を送るのもいいなと思ったものの、僧侶になろうとはまったく考えていませんでした。専修寺での生活が始まると、僧侶になるための最初の修行に入りましたが、先生というプライドはすっかり壊れ、軽々しい心では過ごせぬとんでもない世界に入ってしまったという気がしました。すべての修行が終わったときには、“こだわる”ことを捨てないと、仏様の教えを正しく伝える身としての生活は送れないと感じました。

誰にでも“こだわり”があります。例えば、今日締めて行くネクタイにこだわったり、アンチエイジングといった加齢への抵抗、若さにこだわったりなど、人にはいろいろなこだわりがあります。こだわりとは、物事に執着することです。執着心があると、人は苦しくなります。執着することから離れた生活を送ると、何の迷いもない、何にもとらわれない心穏やかな世界で生きることができます。私はそのような生き方を目指して日々過ごしています。

四苦八苦

“四苦八苦”という言葉があります。4つの苦とは別に8つの苦があるという意味に間違えられることが多いですが、4つと4つ、両方合わせて四苦八苦という意味です。最初の四苦は、生まれてくる苦しみ、生苦。歳をとる老苦。病気になる病苦。最後は死。死苦です。死はどなたにも必ず巡ってくるもので、生まれた以上避けられません。最近、“終活”という言葉をよく耳にしますが、人は誰でも必ず亡くなるわけですから、死ぬことにとらわれ過ぎると、誤った生き方をする危険があります。今から3,500年ほど前、実在の人物であるインド・シャカ族のシッダルタ王子(後の釈迦)が、4つの苦からどうしたら逃れられるのかを探求する旅に出ました。結局お釈迦様がお気づきになられたのは、そういうものからは逃れられないということでした。これが仏教の始まりです。

あとの4つは、愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとっく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)です。愛別離苦は、愛する人と別れる、離れなければならない苦しみ。怨憎会苦は、嫌な人にも、憎らしい人にも会わなければならない苦しみ。どうしても手に入れたいけれど手に入らない。求めても自分のものにならない苦しみが、求不得苦。五蘊盛苦は、肉体と精神が思うようにならない苦しみのことです。生老病死と合わせた8つに苦しんでいる状態を、「四苦八苦している」と言います。人はこれらから逃れることはできません。

るを知る

人の“欲”は絶対になくなりません。欲しい物がある。手に入る。もっと欲しい。また別の物が欲しくなる。このように欲には限度がありません。人は、“知足ちそく”・・・足るを知ることが必要です。どこかで、自分はもう十分であると気づかないと、いつまでも欲を追いかけていつの間にか自分を見失い、進む方向を見誤り、その結果恐ろしいことになってしまいます。人間は一度快い感覚を得ると、脳も体もそれを忘れることができません。快楽とは気持ちが良いものですから、もっと欲しくなり、さらに強いものが欲しくなる。こうしてきりがなくなり、身を滅ぼしてしまうのです。

何かに向かって頑張ろうと思う元になるのは欲であり、そうした気持ちは誰しも必要です。何も求めない人生というのもつまらないですよね。一生のうちには欲求を追い求める時期があって良いと思いますけれど、どこかで、欲を制御する“現状の自分”に気づくことが大切だと思います。

命の大切さ

寿命のことを仏教では、定命(じょうみょう)とも言います。100歳で亡くなる方も、若くして亡くなる方もいらっしゃいますが、定命とは、前世の因縁によって定まる人の寿命のことです。もちろん、前世の因果ですべてが決まるわけではなく、前世の因果と今世の原因が合わさって定命が決まります。毎日の生活には、良いこともあれば悪いこともある。思い通りにいかないこともあるでしょう。でも、考えてみてください。人は一人で生まれてくることはできません。自分がこの世に生まれたことは、本当にすごいことなのです。

皆さんには、必ずご両親がいらっしゃいます。そのご両親にもそれぞれにお父さんとお母さんがいます。お祖父さんお祖母さんにも。10代遡ると、どのくらいの人数になると思いますか?1,024人です。20代遡ると104万8,576人。そのうちのどなたか一人でも居なければ、自分は存在しない。それだけの大切な命のつながりがあって、今の自分があるのです。ですから、この“今”という瞬間、時間、時代、場所に生きているのは奇跡的なすごいことなのです。このように、人として生まれてくるのは当たり前のことではなく、非常に難しく、貴重で有り難いことであり、そのことを私たちは認識しなければいけません。

今回のインタビューが48回目ということに、不思議なご縁を感じます。浄土宗の信仰の対象である阿弥陀様の誓願、すなわち“仏”になるための願いが、まさに48個あるのです。阿弥陀様が法蔵菩薩と名乗られていた頃、数多くの浄土を見て歩き、修行なさいました。素晴らしい浄土も不完全な浄土もあり、ご自身が浄土を創るときの参考になさいました。法蔵菩薩様は48個の願いを立てられ、それをすべて達成され、阿弥陀仏という“仏”になったのです。その48個と同じ48回目に載せていただくにあたり、皆様のお役に少しでも立てる僧侶となれますよう、精進しようと気持ちを新たにしました。

杉山大輔さんから、今回のインタビューの機会を頂けましたことに、御礼申し上げます。
杉山さんとの出会いから、約10年の月日が経ちました。初めてお会いした時、これほど全身に元気あふれる方は見たことがない、と思いました。その、みなぎる元気さは、今なお衰え知らずです。杉山さんと話した方は間違いなく何か新しい行動を起こしたくなることでしょう。杉山さんとは、そういう方です。
一生続く私の修行の中で、この頂いたご縁が大きく存在することは間違いありません。
有り難いことです。

一行山専修寺住職 専修幼稚園園長 甘利 直義


甘利先生には今から10年前、長男が専修幼稚園に入園したときから大変お世話になっています。子ども達4人とも、生まれてから1,000日(3歳)という大切な時期にお世話になり大変感謝しています。僕はニューヨークで育ったので、日本文化を多く取り入れた教育方針に共感し、積極的に幼稚園の活動に参加してきました。僕自身が甘利先生の教えを身につけ、この10年間成長してきたと思います。
僕が教わった人生についての考え方を多くの方に知っていただきたいと思い、5年ほど前に『私の哲学』への出演をお願いしました。その時、出家された年齢の48歳に因み、“48回目”へのご出演をお約束いただき、これを一つの目標に、『私の哲学』を続けて参りました。今回実現したインタビューでは、目標に向かって活動すること、“定命”という新しい考え方を学びました。死が保証されているのであれば、死ぬまで毎日全力で、明るく、楽しく、仲良く、前向きに生きていこうと思います。

「私の哲学」編集長 杉山 大輔

2016年9月 浄土宗 専修寺本堂にて  編集:楠田尚美  撮影:Sebastian Taguchi

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