漫画とワインという新しい組み合わせを生み出した、『神の雫』原作者、樹林ゆう子氏と樹林伸氏。2人が仕事に取り組む姿勢、発信者としての心構えは、誰もが簡単に発言できるネット社会へのメッセージと言えるでしょう。

Profile

第43回 樹林 ゆう子(きばやし ゆうこ)

ノンフィクション作家、漫画原作者
1958年東京都生まれ。フリーランスライターとしての活動に加え、1990年代前半から弟、樹林伸と漫画の原作を執筆している。主な著書は、『すぐやる課をつくった男─マツモトキヨシ伝』(小学館刊)、『病気になる人、ならない人、そして治る人』(小学館刊)ほか多数。

第43回 樹林 伸(きばやし しん)

小説家、脚本家、漫画原作者
1962年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。大学卒業後、株式会社講談社に入社。『週刊少年マガジン』の編集に携わった後、1999年に独立。主な作品は、『金田一少年の事件簿』(漫画原作)、『ドクター・ホワイト』、『ビット・トレーダー』(小説)『石川五右衛門』(脚本)など多数。

姉と弟の共通ペンネームである“亜樹 直(あぎ ただし)”名義の作品、『神の雫』(講談社モーニングKC刊)は、ワインの本場フランスでも「フランス人も知らなかった知識が出てくるマンガ」と絶賛されており、2010年にワイン専門誌『ラ・ルビュー・ド・バン・ド・フランス』が、日本人初の“今年の特別賞”(最高賞)に作画のオキモト・シュウ氏と共に選出した。また、樹林ゆう子氏と樹林伸氏は、2012年にフランスの農事功労賞シュヴァリエを受領、2016年5月にはザ・ドリンクス・ビジネス誌とヴィネクスポが認定する「2016年アジアン・ワイン・パーソナリティ」賞を受賞した。

※肩書などは、インタビュー実施当時(2016年6月)のものです。
※本文中敬称略

大切な子どものようなワインたち

『神の雫』を書くきっかけになり、樹林ゆう子と樹林伸の人生を変えたと言える1本は、伸の家で開いたワインパーティーで出合った“DRCエシェゾー85年”である。ワインも一期一会。開けるときのシチュエーション、タイミングがとても大事で、その瞬間、たまたまそのDRCエシェゾーが最高のコンディションだったのだろう。DRCエシェゾーとの出合いをゆう子は、「とにかく凄かった。それまで自分にとってワインはたくさんあるお酒の中の一つに過ぎなくて、それほど入れ込んでいたわけではありません。ところがそのDRCエシェゾーを飲んだ瞬間、全身を雷で打たれたような衝撃を受けて、1本のワインの向こう側に、文化や歴史、人間、テロワールやいろいろなものがショートムービーのように駆け巡りました」。

それから2人は、これほど凄いものが他にどれだけあるのか、もっと掘り下げてみたいという思いに駆られる。次から次へと買い求め、セラーまでも買い足す有様。もうこれ以上大きなセラーを家に置くなと家族の反対にあい、築50年の木造アパートにワイン専用の部屋を借りる。ゆう子が、月5,000円を出して取っていた地震情報。あるとき関東地方に大きな地震が来ると流れてきて、「あの子たちはどうなってしまうんだろう」と思い、すぐに引っ越す。新しく借りたワインの部屋は、鉄筋コンクリート造で一階、陽当たりが悪いのが決め手となった。「素晴らしいワインは、“あの子たち”と呼びたくなるんですよ」。

リアルなイメージを漫画に

一緒に仕事をしていて夜中になると、これ以上はガソリンが入らないと走れない、ワインでも飲もうよとなる。そんなときゆう子が、「このワイン女性みたいな感じだよね」と遊び感覚で言い始める。姉が女性的と感じたのに対して弟がマッチョな男性的と言うことはなく、イメージは一致。その時、自分たちはワインが持っている世界を映し出せるのではないかと思った。そして、伸が、「これ、漫画にできるんじゃないか」と言い出す。 「漫画に出しているワインは、すべて僕たちが実際に飲んでいます。人から聞いたり、取材だけで済ませたりしようとすると、この世界で続けていくことはできません。リアルに飲んで浮かんだイメージを漫画の世界に反映しています」。ゆう子も、「ワインが持っている世界観や文化を読者に伝えたいという思いがあって、それはやはり実際にあるワインでなければならないし、私たちが飲んで感じたイメージを、読者の人が買って、飲んで、感じてくれたらそれが一番ハッピーです」。

この1本を飲んだら、確実に自分が幸せになれることがわかる。いろいろな夢が見られ、誰かと1時間くらい語り合うことができる。そんな液体、ワイン以外にない。「ワインは、飲む前からうんちくを語ってはだめなんです。ファーストインパクトが大事ですからね」と言う伸と、「飲んでみて、おいしさにびっくりしてどんなワインか調べる方が面白い。私たちはデータを伝達しているのではなく、イメージを漫画にしています。飲む前にデータが頭に入っていると、飲んだときのイメージが出にくくなりますから」と言うゆう子。2人の間には、原作を書く上でのスタンスにずれがない。

国による嗜好の違い

食い道楽だった姉弟の祖父は、まだ小学生と幼稚園児だった2人をよく、フランス人シェフがいる、当時としては珍しい本格フレンチレストランに連れて行った。この頃から彼らの味覚は作られていったのだろう。「12歳までに感じて覚えた味が、その後の味の基礎になると言いますし、その歳までにファストフードの味に慣れてしまうと、原理原則が違ってしまうように思います」。ゆう子のこの言葉に伸は、「その可能性はあると思う。子どもたちにも、食べ物は良い材料で作ったものをといつも考えています」。

繊細な味を感じられる日本人の舌。日本でフランスワインが好まれる傾向にあるのも、この国のワインには繊細で複雑さを持つものが多いからかもしれない。ある時、アメリカのあるワイナリーから『神の雫』とコラボレーションしたいという申し出があった。姉弟が、「では、日本人にも好まれる控えめな香りの繊細なワインを開発しましょう」と語ったところ、ワイナリーの人に「それは難しい」と言われた。彼らの顧客の多くは、バニラのような強い香りと肉厚なボディのワインが好きだからだという。「樽由来の甘い香りを好まずナチュラルさを求めるムーブメントに対し、多くのアメリカ人がそうであるように、香りもボディも強いワインを好む人々もまた存在する。この二つの潮流の間で、世界のワイン市場はせめぎ合っているんでしょう」。こうした嗜好の違いは、人種というより食文化の違いから来る面が大きい。ワインは、食事と影響を与え合いながら進化し、変容していくものなのだ。

影響力があるからこそ、無責任なことはしない

「発信者として一番気をつけていることは、“おいしくない”、“これはだめだ”などと決して言わないことです」。ゆう子も、「私も同じことを思っています。批判はしない。おいしくないと思ったら、紹介しなければいいんです。映画評論家の故淀川長治氏があるインタビューで、“つまらない映画があっても、その映画を絶対につまらないとは言わない。インテリアでも何でもいいから一つ良いところを見つけて褒めるようにしている”と話されていたのを聞いて、その通りだと」。

「僕たちはメディアで人の悪口を言ったことがありません。最近はネット上で批判ばかり口にする人を目にしますが、気に入らないものを買ってしまったら、次は買わなければいいし、その話はしなくていい。影響力を持っているならなおのこと、僕は無責任なことはしたくない。褒めることが突出していればいいんです。価値がないと思っても、それはもしかしたら僕たちの偏見かもしれないし、ワインは嗜好品だから、僕がおいしくないと思っても他の人はそう思わないこともある。偏見ではなくて本当に価値がないものだったら、自然に消えていきます。だめだと思うワインのことを、わざわざ言う必要がありますか。ないですよね。アマチュアの人たちも、悪口を言うのは一切やめて、良いものを選んでみんなに勧めるという姿勢でいてほしいと思います。その方が社会全体、国全体が盛り上がります」。

おいしかった料理や店、ワイン、面白かった映画、役に立つ勉強。こういうことを発信するのはいいことだが、これはだめ、あれはだめだと言う人の近くには寄らない方がいい。何がいいものなのか。そもそも、いいものとは何か分かっているのか。「批判ばかり発信していると、必ず世の中は停滞していく。街頭インタビューでは、みんな不景気だと言います。でも本当にそうなのでしょうか。景気なんて気分。みんなが“景気いいぜ”と言っていたら良くなっていくものなんです」。力強く語った伸の言葉が、多く人に届いてほしい。

取材の日、杉山さんは私たちへの手土産にと1本のワインをお持ちくださった。包装を解いて、とても驚いた。それが、20年近く前に飲んで感動し、『神の雫』を手がけるきっかけになった記念のワインだったからだ。古酒だけに、これを探すのは相当困難だったはずだが、人脈と情報力を駆使して、杉山さんはどこからか探し出してきてくれたのだった。人を喜ばせるためにここまでパワーを使える人は、滅多にいない。杉山さんは、並外れた行動力と分析力、洞察力を備えつつも、その明るい笑顔にふさわしく、人としての温かさにあふれている。杉山さん、今回はありがとうございました。

樹林 ゆう子 樹林 伸


僕の義兄はソムリエで、大学生の頃からいろいろなお店に連れて行ってくれ、手頃な値段でもおいしいワインはたくさんあること。そのワインが持つ“ストーリー”によって一杯に深みが出ることなど、たくさんのことを教えてもらいました。
今回は、漫画とリアルなワインの世界をマリアージュさせた、『神の雫』の原作者へのインタビュー。樹林ゆう子様と樹林伸様の仕事に対する姿勢などをお聞きし、素敵な作品の数々は、ご姉弟と関係スタッフとの信頼感によって生まれることを知りました。G7伊勢志摩サミットで伸様がセレクションした、シャトー・メルシャン・マリコ・ヴィンヤード・オムニスを飲みながらのインタビューは、僕もサミットに参加しているような感覚を味わうことができました。

「私の哲学」編集長 杉山 大輔

2016年6月 樹林伸宅にて  編集:楠田尚美  撮影:Sebastian Taguchi

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