2014年10月1日、サントリービール株式会社が誕生しました。その初代社長を務める水谷 徹氏は、角ハイボールをヒットさせた実績を持つ人物。氏の足跡からは、いかに仕事と向き合うべきか、そのヒントが見えてきます。

Profile

第34回 水谷 徹 (みずたに てつ)

サントリービール株式会社 代表取締役社長
1961年東京都生まれ。上智大学法学部卒業。1983年、サントリー入社。酒類事業本部企画部部長、ウイスキー部長、スピリッツ事業部長を経て、2011年、サントリーホールディングス株式会社執行役員経営企画本部長。2013年、サントリー酒類株式会社常務取締役ビール事業部長。2014年10月、新しく設立されたサントリービール株式会社の代表取締役社長に就任した。

※肩書などは、インタビュー実施当時(2015年3月)のものです。

角ハイボールのブームは銀座から

2008年に、それまで約25年間ずっとダウントレンドが続いたウイスキー市場を立て直すため、当時の佐治社長(現サントリーホールディングス会長)から、「ゼロから新しい事業を始めると思ってやってくれ」とウイスキー部長を任されました。新しいことを考える手がかりは現場にしかないと思い、あちこちのバーに行ってみると、ウイスキーを炭酸で割るハイボールを“角瓶”でつくっているバーテンダーがとても多いことに気づきました。売上げを分析してみると、業務用の角瓶だけが伸びている。銀座のとあるバーでは、ほとんどのお客様が角ハイボールばかり飲んでいるのを見て、ここにチャンスがあると直感しました。そこで、若手社員中心のチームを作ってハイボールに的を絞った営業を全国で展開しましたが、全然売れない。これはだめかもしれないと思っていた時、銀座にハイボールをメインとしたお店をオープンしていただけることになり、そこで徹底的に角ハイボールを売ってもらうことにしました。すると、居酒屋1軒で1日に3杯、5杯出る程度だったのが、そのお店だけで1日に100杯も200杯も出るほど売れたんです。

苦味のあるビールでも甘いチューハイでもない、食事にあう新しい飲み物が求められていた時代の嗜好の変化に、上手くはまったこともあると思います。若い人たちが喜んで飲んでいる姿にウイスキーの未来が見えたような気がし、本当に膝が震え、これでいけると手応えを感じました。結果、そのお店を起点に、僕が想定していたよりも早くハイボールブームが広がりました。

必死で働いた日々

入社当初の担当はソフトドリンクでした。今ではサントリーグループの中核事業ですが、その頃はまだ小さな部門で、お酒が好きで入社したのに同期の中でどうして自分一人だけ飲料担当なのかと思うこともありました。当時の飲料事業部長に、洋酒事業と同等の利益を会社にもたらすにはどうしたらいいか相談すると、「年間5億円を売上げたら、お酒のセールス1人よりも会社に利益を出していることになる」と言われました。そこで、よし!ゼロから5億売上げる市場を作ってやろうと目標を立てました。朝4時半に起きて市場へ行き、大量に飲料を仕入れているスーパーを探して売り込んだり、店舗で売れていない地域へ積極的に自動販売機を設置したりして、4年ほどで5億円の目標を達成しました。

そのまま飲料をやっていきたいと思い始めた頃、その事業部長が洋酒部門のトップになり、ウイスキー事業部に呼ばれます。しかし、当時は焼酎ブームで、何をやってもなかなかウイスキーに需要が戻りませんでした。次に、営業力を蓄えようと事業部の中に作られた営業部署で、営業革新に取り組みました。お酒は酒販店で売られていた時代でしたが、これから自由化が進み、スーパーは絶対に酒類販売業免許を取る。そうなると、お客様はスーパーの売り場で自由に商品を選ぶようになり、シェアが大きく変わる。これは流通を勉強しておく必要があると思い、量販店での販売に成功していた食品メーカーに話を聞きに行ったり、流通の勉強会に行ったりしました。

どこよりも早く流通の変化への対応を始めたことで、スーパーや酒量販店での売上げが伸び始めた頃、今度はビール事業の商品開発部門を任されます。そこで企画したのが“のどごし発泡酒〈Ad生(アドナマ)〉”です。缶の側面を広告面にできるのであれば、その広告収入で価格が合理的に下げられるのではないかという若手社員からの提案から始まった企画でした。この取り組みは業界に大きなインパクトを与えました。まさにサントリー創業期以来のDNAであるチャレンジ精神、「やってみなはれ」を実践した一例といえると思います。

病気を機に人間的に成長

中学生のとき身体が小さかった僕は、強くなりたくて空手部に入りました。人一倍練習して茶帯から黒帯になり、3年生から入ったスキー部でも一生懸命練習して、国体に出られるくらいのレベルまで上達しました。人より頑張ったり努力したりすると、成果となって自分にかえってくるという、この部活動での体験を通じて、自分に自信がつきました。でも、自分だけ頑張っていればいいのは課長くらいまでです。部長以上になると、自分だけが頑張っていても誰もついて来ません。僕はちょうどその時期に病気をしたのが良かった。実は42歳のとき、病気で2週間入院したことがあります。病気になったことでそれまでのことをゆっくり振り返る時間ができ、仕事だけが人生のすべてではないと思えるようになって、人間的に強くなった気がします。

歴史を受け継ぎ、夢に挑戦

2015年3月17日に新発売した、“ザ・プレミアム・モルツ マスターズドリーム”は、僕たちの夢そのものです。心が震えるほど美味しいビールをつくりたいという夢を持ち、醸造家が10年の年月をかけてつくり上げた、今までにないビールです。ビール会社として独立し、自分が社長になったタイミングで発売できたことを、とても嬉しく思っていますし、このビールを市場で育てていく責任も感じています。このビールがつくれたのも、それまでのウイスキーメーカーがつくっているビールというイメージを、“ザ・プレミアム・モルツ”が大きく変えたからです。プレミアムモルツは、1日の終わりに飲む自分へのご褒美としてゆっくり飲むような、少しウイスキーに近い世界観を持ったビールだと思います。そこがお客様の持っているサントリーのイメージにも符合して売れたのでしょう。僕たちはそうした、サントリーらしさにこだわった挑戦をしていかなければならないと考えています。

ある先輩に教わった、「過去は変えられない。他人も変えられない。変えられるのは自分自身と未来だ」という言葉が好きです。過去の失敗を分析ばかりしていても何も変わりません。未来の夢を実現するために振り返る。多くの先輩たちの苦労や成功、持っていた夢、今までサントリーがやってきたことを振り返り、純粋に歴史を受け継いでいくことが大事だと思っています。情熱を持って、夢に向かい挑戦し続ける。僕は今、そうした思いで歩き始めたところです。

杉山大輔さんには、「若者の勇気に満ちたエネルギー」を感じます。
『運を動かせ』『行動する勇気』、彼の著書を読んで、一番嬉しいのは読後に元気になることですね。
今回のインタビューも彼の元気エネルギーをもらって、楽しく話すことができました。

サントリービール株式会社 代表取締役社長 水谷徹


水谷徹社長のサントリーに対する愛社精神を強く感じ、数字と結果の重みを体感したインタビューでした。サントリービール「ザ・プレミアム・モルツ マスターズドリーム」は、これまでのサントリーの歴史が詰まった「連結の価値」によって生まれたビールだと思います。
「やってみなはれ」 今の日本に一番必要な言葉でしょう。

「私の哲学」編集長 杉山 大輔

2015年3月 六本木ヒルズ マスターズドリーム ラウンジにて  編集:楠田尚美  撮影:鮎澤大輝